今月の法話

花散らしの雨


 


花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは 我が身なりけり


気候不順の中、つい先週まで咲き誇っていたあちらこちらの桜も、風や雨によってあっという間に散ってしまいました。


冒頭の和歌は「入道前太政大臣(にゅうどうさきのだいじょうだいじん)」という方が詠まれた和歌で、小倉百人一首にも採られております。


嵐が桜の花を誘って吹き散らした庭は、花びらが雪のように降っているが、実は老いさらばえて散っているのは、私自身ではないだろうか。そのような意味です。


自然界の営みからみれば、われわれひとりひとりの命など取るに足らないものです。若い若いと思っていても、いつの間にか歳を取り、心身の衰えを感じ、そして旅立っていく。


仏教の世界では、「生・老・病・死」はいずれも苦であり、「自分の思い通りにならないこと、避けれらないこと」と言われます。


桜の花の見ごろはせいぜい一週間ほど。その時期が過ぎれば雨風によって散り、路上に落ちていきます。それに比べれば私たちは数十年という命をもたらされ、社会に貢献する期間を与えられます。その時間の中で、必要としている人のために尽くす、困っている人に手を差し伸べる、自分の持ち分を活かして人々の安全、安心、豊かな生活に寄与する、そんな心掛けを今一度、試みていただければと存じます。


先日、熊本地震から丸七年を迎えました。懇意にして頂いている熊本の僧侶さんによれば、仮設住宅は閉鎖され、居住されていた皆様はそれぞれ、復興住宅に引っ越されていったそうです。


ところが令和二年には同じ熊本県内の球磨郡球磨村神瀬で豪雨災害が発生し、地区全体の三分の一にあたる世帯が全壊や半壊の被害を受け、仮設住宅に避難されているそうです。復興のお手伝いになればと、当山住職も些少ながら支援をさせていただきました。


毎年のようにこの国のどこかで大規模災害が発生し、家を失う方が出ているという事実に胸が詰まります。この国の、そして世界の全ての方に平穏な日々が訪れることを、願ってやみません。


 


 


 


 


 


 


 


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