今月の法話

世間虚仮、唯仏是真

 

 

せけんこけ、ゆいぶつぜしん。「世間は虚飾にまみれた空疎な(中身のない)ものであり、ただ仏教の教えのみが真実である」という意味です。聖徳太子の言葉です。

今、世の中には膨大な情報が氾濫し、必要に応じてそれぞれにさまざまな組織がそれぞれの基準に基づいて正誤判定を下しています。その基準は、たとえば法律であったり条例であったり、倫理のような多少漠然としたものであったりしますが、昨今はSNSにより個人がその考えをインターネット上で自由に発信できるようになり、それらについての感想や判断もまた個人レベルで発信できるようになりました。
そのこと自体は悪いことではないのですが、問題はその感想や判断が、その人が知り得ている情報のみに基づいて、かつ、しばしば断定的な言い方で発信されることです。「Aさんの意見は○○だが、自分は□□だと思う」という話を「○○というAの意見は間違っている、□□が正しい」と語ってしまう、といった具合です。あの超大国の指導者でさえ自らの無謬性を信じて疑わず、自らの言説を断定的にまき散らしています。

そういった争いを目にしたり、あるいは巻き込まれたりして、「なんでこんなに争っているのだろう」と心が疲れてしまった際には、冒頭の「この世はそもそも空疎なものである」という聖徳太子の言葉を思い出していただきたいと思います。
そもそもこの世のすべてが空疎であるなら、持論をふりかざして他者を説き伏せ、マウントをとること自体が無益な行為であることに気がつくと思います。

「ああ、この人はそういう考えなんだな」と受け止め、頷けなかったら離れる。それでよいと思います。

冒頭の言葉の後段は「仏教の教えのみが真実である」という、いささか説教めいた物言いになっていますが、ここで言われている「仏教の教え」は「万物はおしなべて空(実体のないもの)である」という、前段の言い換えと考えても差し支えないと思います。
大事なことは、いまそこにあるものの外観を見ることではなく、見ることのできない本質を心で感じようとすること。決して簡単ではありませんが、まずは日々を心穏やかに過ごし、メディアやネットの言説に過度に入り込まず、一歩引いた地点に居るようにすること。そのあたりから始めてみてはいかがでしょうか。

 

 

>> タップで電話をかける <<

Copyright (C) 真言宗智山派 護國山東養寺 - 埼玉県川口市. All Right Reserved.