耳に逆ろうて心にいれず
自分にとって耳触りのよくない情報を聞き入れない、という意味の、弘法大師の言葉です。
現代ほど情報が氾濫している時代は、今までなかったと思います。
我々が子供の頃は、わからない言葉を耳にしたら年長者に尋ねる。あるいは図書館で調べる、辞書や百科事典を引く。そんなことを繰り返しながら知識を身につけていったように思います。
ところが現代は、わからないことがあったら直ちにスマホやパソコンに入力すると、インターネットを介してたちどころに答えが返ってきます。それ自体はきわめて便利で都合のいいことなのですが、その返ってくる答えが、時として公正中立なものでなかったり、客観的な事実でなかったりすることが間々あります。 そして困ったことには、あるベクトルに偏った情報を何度か読むと、そちらの思想に寄った情報や動画が次々に表示されるようになっています。それが繰り返されるうちに、知らず知らずのうちに自分の思想がそちらに染まってしまう、という状態になります。ご存じの通り、政治の世界でも、誰もが手軽に情報発信できるSNSと呼ばれるツールで流言飛語が飛び交い、選挙の結果に大きな影響を及ぼす事態となっています。
我々の自衛の手段としては、まず、インターネットの情報を鵜吞みにしない。嫌ないい方ですが、「疑ってかかる」という対処が求められます。いかにももっともらしいスタイルで、まったくの嘘が流されているのが実情です。NHKや民放テレビ局、また全国紙などの旧来型メディアは社によってスタンスの差異はあるものの、裏の取れていない情報は基本的に流しませんので、ネットの情報よりは信頼性が高いと言っていいと思います。できるだけ複数の旧来型メディアから情報を収集することをお勧めします。
我々ひとりひとりが、情報の取捨選択を求められる時代です。自分の思っていることに近い情報が流れてきたら「わが意を得たり」と手を叩くだけでなく、別の見方はないか考えてみる。
そして自分の思っていること、信じていることと異なる意見が流れてきた場合、「それは違う」などと目を通すことをやめてしまうのではなく、いったんは目を通してみる。もしかしたら、そちらにも理のある、あるいはそちらのほうが真実に近い情報かもしれないと、冷静に考えてみる。
そんなことを意識してみてはいかがでしょうか。