今月の法話

共存する、という発想。


生物学者の福岡伸一先生が、こんな内容の文章を新聞に寄稿していました。







ウイルスが伝えようとしていることはシンプルである。医療は結局、自ら助かる者を助けているということ、今は助かった者でもいつか必ず死ぬということ、
 一方、新型コロナウイルスの方も、やがて新型ではなくなり、常在的な風邪ウイルスと化してしまうだろう。宿主の側が免疫を獲得するにつれ、ほどほどに宿主と均衡をとるウイルスだけが選択されて残るからだ。明日にでも、ワクチンや特効薬が開発され、ウイルスに打ち克(か)ち、祝祭的な解放感に包まれるような未来がこないことは明らかである。長い時間軸を持って、リスクを受容しつつウイルスとの動的平衡をめざすしかない。









 





 この「均衡を取る」という発想は、実に仏教的です。「ウイルスをやっつける」のでなく、「ウイルスを共にある生活を受け入れる」という考え方。そもそもウイルスは突然発生したわけではなく、宿主である人間の細胞膜を借りて育つものです。いわば共生を前提にしている存在であり、ほどほどにつきあっていくべき相手、というとらえ方が適切であろうと思います。確かに、寄生されたらきわめて厄介な存在ではありますが、先方は別に「迷惑をかけてやろう」とか「痛めつけてやろう」とは思っていないわけです。「痛いのはいやだ」とは思いますが、我々も動植物を駆除したり食したりするときには相手に痛い思いをさせているかもしれず、これはもう「そういうものだ」と受け止めるしかないのでしょう。
医療の崩壊に至るような深刻な事態は避けねばなりませんし、感染の収束を願う気持ちに変わりはありませんが、長期的には、ウイルスをそこにあるものとして、無理なく受け入れ、これからの生活基盤を社会全体で構築していきましょう。時間はかかるかもしれませんが、じっくりと、丁寧に。









 


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